はじめに
この内容はあくまでも被虐待児であった当事者の観点ものであり、誰にも話す事なく 心の奥に閉じ込めていた実体験です。
昨今、あまりもの多くの虐待ニュースが流れる中、私さえ苦しみを押さえていれば・・の考えでは同じ当事者が増えるばかり・・。 
急増する「離婚別居家庭先進国」、及び「虐待先進国」と諸外国から指摘される日本では 『大人になれない大人』 『(子どもを産んでも)親になれない親』で溢れています。
『子どもの福祉』と謳う日本国内の実状は ”大人の福祉(都合)”に摩り替わっている現状、真の原因究明に日本政府が対策をとり『大人の都合』 『大人が先』の
"つじつま合わせ"を本来の姿になるよう願い祈り書き残しております。
そして虐待加害者である多くの無自覚虐待の気づきを願い さらに多くの虐待への誤解を知って頂く事に必死な思いで書き綴っております。
本文は、出来るだけ客観視での文面を心がけておりますが、何せ封印していた幼少時からの経験を伝える為、
部分的に当事者としての表現・・文節文面になっている事をどうかご理解下さる様お願い致します。

身体的及び心理的虐待を受けている子どもたちの多くは笑顔で生きています。
虐待に遭った多くの体験者は被虐待児であった事を話し(せ)ません・・
なぜならば、血の繋がった両親(家族)に愛され多くの大人たちに見守られ愛を信じ学び 人を愛したい・・
愛し愛されていると思う事で守られ自身の存在価値を感じ安心し信じ生きていけるから・・・。

追:これは目で見える外観で判断できる外傷的虐待問題の根源である 子の成長にとって最重要である心の成長を阻害する子の心理(精神)的虐待に的を絞ったものです。
    これはあくまでも筆者(私)一個人が経験したものでありますが、登場する家族また表向き似たご家族を人的否定批判をするものではない事をご理解の上ご覧下さい。
    これは無自覚虐待者への気付きを願い、また加虐待者として自覚されながらも誰にも相談できず苦しみ彷徨っておられる方がいらっしゃる事も踏まえてご覧ください。
    これはあくまでも被虐待児であった筆者の実体験言語であり本管理下外である無許可での公衆配信及び無断転記使用、一部抜粋、改変等は固くお断り致します。
    2010年 筆者(管理人)


ドメイン

















(執筆中:加筆、改訂中である事をご了解の上ご観覧ください。)



児童 幼児洗脳虐待/片親引き離し・片親疎外虐待(Parental Alienation) / 無自覚虐待 / ネグレクト







大人に傷つけられるも言葉にできない子どもたちに対する大人の自我や欲望、利益を先にすることでの親(大人)が児童・幼児の心理的成長を阻害する行為。
子どもを玩具とし自の都合で押し付け、子どもの気持ちは聞き入れぬ虐待行為。
親/大人(加虐待者)にとって不都合は聞き入れず 子どもの心理精神的成長を阻害し、加虐待者の欲などを子に洗脳すること。
これのより、子の成長にとってたいせつな自尊心を抑え込む(成長阻害)虐待行為。

この事を犯す者は多に自己愛、自己主張、地位、差別思考が強く、また他を否定批判、誹謗中傷で我(自)を先に守り、子や立場の弱い者を支配するなどが特徴。
また、自が絶対といったことから、我を通す(守る)為には子(弱者)や他に危害を加えている事を正当化する理解、他を心理的に傷つける方向にある。
自は常に絶対主人公であるため不利益事は聞き入れず・不都合な流れに向くと他を否定批判、誹謗中傷、脅迫など攻撃的行動、また被害者に一変する傾向がある。

自己愛が強く、周囲から常に中心である事を求め 自己が薄れる存在(状況)または賛同してくれない者などに対し原因を打ち消す行動に走る。他を責め否定し続け、自には一切負や否定しない事も特徴。単独よりも自己愛保持主張者(男女差別含む)ネットワークを作ろうとする。理解をされない場合それに対し敵対心と凶暴化集団と化すのも特徴。
例)自を弱者に置き、周囲に見方を作ろうと偽作工作など行動する。本来、自の心に対し持つべき『プライド心』が他への『見栄心>プライド』が特徴、次第に『(敵)対する』『押し潰したい』己の責を覆うために対する者の非(否)を探すまた、誇張や作り話まで発展する事も珍しくなく、自分にとって高評価・被害者を演じ都合のよい事をだけを主張する傾向がある。

身体への暴力(虐待)が問題視される昨今、本来重視するべき事として 子どもは親に愛されたい、子どもの成長過程において自身へ(子ども本人)の存在価値へ疑問、親に守られたい、想いゆえ言葉で苦しみを発せられない経過を経て本質である心理的暴力が児童虐待の本髄となる。
大人の思い(感情)は子ども同じ、更に大人の利益は子どもにとっても利益などの自己都合(価値観)・自己愛を子どもに押し付け結果、子ども自身の心や価値観、存在価値は埋もらされ洗脳虐待とも理解されます。
よって、身体へ暴力のみならず言動や日常生活での大人や親の利益による心理的威圧、服従といった子どもの精神心理的虐待が「虐待」とされます。
これら我の理解が絶対といったものが『無自覚虐待』にも繋がる。

片親引き離し/疎外(洗脳)虐待
2002年あたりから急増する日本の離婚(別居)社会とともに片親引き離し(疎外)が目立つ。
監護者にとって不利益となる片親(疎外親)の存在を子どもに言葉での誹謗中傷、否定批判。
または言葉ではなくても、片親(疎外親)の存在を子どもから発せられない、暗黙での家庭(ルール)環境下とし洗脳虐待する。

これは離婚(別居)家庭だけに当てはまるものではなく、両親の片方を子どもの心から疎外させる行為全てに当てはまり
結果、子どもの誕生を否定するとともに 子が自身を否定させる心理的成長を阻害させる洗脳虐待行為。
血の繋がった両親(家族)に愛される事を否とし 「子を愛し守っている」 を 「育てているのは子の目の前である者」(日常側近監護者)が全てとし
子が愛され守られる認識の誤解や見捨てられる恐怖感を仰ぎ 子の心理/行動を所有物(権)として扱う行為が含まれる。




心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic stress disorder)/心的外傷



トラウマなど巷で病名として使われるがこれを診断するには 長い診察期間があって診断されるものであり、所見ではまず診断されるものではない。
普段は大丈夫で「こんな時に症状がでる・・」といった自分に都合のよい解釈・訴えをするものはP.T.S.Dではない。
また昨今、精神医科内でも問題化される本人の虚偽(詐病)や団体からの依頼、主観的即時診断で安易に「P.T.S.D」診断がされる事が多い。

日常会話で出る「トラウマ」とは別に医学的に「P.T.S.D」と診断されるものは心身的不具合が生じ日常生活にも支障が出るものである。
本来、本人はこれを隠そうとし医師にでさえ心を閉ざし話そうとはしない事が多いので、医師自身が患者から信頼される心がけや診察に期間が掛るものである。
ちなみに自身も「P.T.S.D」と診断されたのは6年間通院して診断されたことでもあげられます。

とまらぬ嘔吐 長時間に掛けネジられ様なみぞおち(胃)の痛み 歩行にも差し支えが出る平衡感覚失調 指先の震え 日常的な恐怖感
直接的原因である類への恐怖感などからは 本人も気づかない事や他人に話せぬ(表現出来ない)心のことから発見されることは非常に困難。
※大きく更に活発な行動をする犬に噛まれた体験であっても、犬全種 たとえば物静かな小型犬であっても恐怖感含む感情に加え行動的不調不具合が出る。
更に犬が散歩するような道や地域を感じると身体が硬直したり、立ち入る事が出来なくなる。
これを強引にすると「パニック」におちいり呼吸困難や嘔吐することも珍しくない。
他、異性から恐怖感などを受けた場合、日常生活でも異性へのすべてに恐怖感に加え不安・不信感などが生れ、更にその重圧感から自身への「怨憎」変感する場合もある。

この自身への感情「否定感」は「P.T.S.D」の原因であるものへの「愛情」「信頼」からのことが多い。本来「興味」や「愛情・信頼」を持っていたものからの意外な恐怖体験からはじまったこと。
これらを「否定したくない」「好きでありたい」「尊重したい」など そんな心から自身の人間性を責める手段を本能で選択します。
よって、自身の存在感を伏せたい・消したい VS 自身の存在価値が格闘しはじめます。
「P.T.S.D」に当てはまる場合、多くの流れは自己存在価値観が負けます。
これには発育上重要な時期、幼少期での発育(生活)環境もおおきく関連付けられます。

この他、「鬱」にもうかが得られ関連しされていますが、守りたい・大切なもの(人含む)から実質疎外・剥奪行為や外部からの自己存在への否定批判、誹謗中傷など続く事、外部からのすり込みにより「自身生きる価値がない」と脳が判断しはじめると 日常生活で「死」が脳裏から離れず「自己価値確認(自分への確認)」での自傷行為、そして「絶対計画での自死」へと進む事があります。






被虐待児症候群 / 洗脳虐待症 / Parental Alienation Syndrome



原因/生活環境
昨今、急増する離婚別居家庭先進国日本 『大人になれない大人』 『(子どもを産んでも)親になれない親』の家庭環境下を前提とします。
※片親引き離し症候群と片親疎外症候群とは別として研究学論される疾病。
現日本政治(憲法・文化)では子の福祉(無事成長)はなく大人(親)は先である不具合なものである為、覆い伏せられる状況下。
別居・離婚など片親との生活環境だけではなく、両親の元暮らす環境下であっても片方の親(親類など)が一方の親を否定批判・疎外などの生活環境下にもこれに当てはまる。
※最初に これは離婚別居家庭環境下での子ども 家庭環境全てに当てはまるものではありません。


子どもの心から片親を疎外
主に親の離婚や別居家庭の一部にみられる 親権(監護権)を持てぬ片親と子どもが引き離しに遭う環境下で多く見られる子どもの病




親権者(監護親)自の価値観を子にも植えつけ通し、子を支配下に置き成長に伴う心(自尊心)を抑えつけ従わす心理的暴力下での子どもに見られる病。
監護者の考えは「絶対」であり反するものはすべて敵対心を持ち、本来自然下でも子どもの成長に必要である「両親に愛される安心」をも阻害、
監護親の支配下とされ非親権者である片親と生き別れ、子どもの精神成長を阻止される

これは、疎外された片親の存在価値を言葉として否定する等、子どもに植えつける事だけではなく、
暗黙としての家庭内ルールの中、疎外親に関する事は触れられない環境下を作り出す心理・精神的虐待である、
その為外傷はなく更に「監護親が絶対」と子ども自身の身を守るがゆえの「見えぬ親」ではなく「目の前の親」が更に悪化させている。
これにより、子どもにとっては自分の存在(誕生)には必要不可欠な事を否定された事と同等であることから、
多くの子どもは成長過程においてこころの病に悩まされ、自尊心欠乏など社会対人対応に欠を伴うことが多い。


症状としては個々様々ではあるが、社会へ他人との関係など(同調)に苦しむことは明らかである。
子どもは大人の監護の元、日常傍にいる監護者(日本の場合”親権者”)に頼る他なく、自の気持ちを言葉出来ぬ生活環境下で生きるすべとして自の心を抑え自を守る事となる。
これは親子としての自然な親子愛とはずれ成長下の子にとって愛される安心感ではなく、愛されたい・・捨てられたくない・・、恐怖にも近い不安からはじまる精神不安定になるべくして当然と言える家庭環境である。

自己主張の場はなく、常に他人の目を伺い自分の気持ちや本心が伝えられなくなる症状となる。
これは自身の気持ちを抑える事が日常となり他人の気持ちや行動が自分の気持でもあると自己暗示をかける傾向にある。

これを悪用し(または常に自が「絶対」の為、何の疑いもなく)子どもの心を知る事を避け、自の都合(価値観)のみの主張通し、子どもを束縛しする監護者の育児からはじまる。

現医学では、P.A.S=片親引き離し症候群、片親疎外症候群はP.T.S.Dとして扱われるが、現実は別疾病として研究されている。
実質、この環境下で育った子の表面的症状は様々である。
タイプA いっさい自分の心を表現できず常に他の後になり、自身を抑えつける症状(自尊心欠乏)
タイプA−1.マイナス思考性から身近な人などが不愉快不機嫌な態度を見せるとその原因に全て自分の存在に責があると考えまたそれが劣等感を増幅させる。
タイプA−2.常に孤独感・自責感に追われる。
タイプA−3.感情(自己)表現の欠乏。
タイプB 一方、自己主張が強いあまり闘争心が盛んではあるがそれは身内や弱者に対しであり社会には適応出来なく、原因を他責に向ける症状など。
タイプB−1. 自分の我と価値観のみが通る環境に留まる為、考えが通る行動や言動に虚偽が多くなる。また知らぬ外部には目を向けない、またそれを否定批判誹謗中傷する為に更に虚偽を押し通しす行動が見受けられる。
タイプB−2. 他の弱や否を追い込む習性。
ほか



●私の幼少時〜(生い立ち)●


○片親引き離し(疎外)という「洗脳虐待」
〜 母と兄の父親(普段留守がち)への否定批判、誹謗中傷発言の「下」で息を殺して生きていました 〜

物心付いた時期からの母親の発言である父親や祖母への陰口に気がついた時はすでにふたり兄弟である兄も含めた心身的虐待となっていました。
それは、家を空けがちだった父親本人に聞こえぬ事から 母・兄(5歳上)が言葉にする否定批判・誹謗中傷の生活環境。
それは次第にエスカレートし いつしか父親本人の前でも言葉・行動表現にもでてきました。
それはパパっ子、婆ちゃん子(父方)である私への心理・身体な虐待へもつながり日常生活に入り込んでいました。
しかし自分の感情や想いを表現する事は許されず(生きる術として・・)、幼稚園児時期には近所でも有名な家出少年になっていました。(お守りではなく首から住所・電話番号を書かれた札を付けさせられるほどでした・・)
片方の足首を持たれ家の中の廊下を引きずりまわされる・・ ふかくつよくツネラレル・・ 人前では見えないところで見ない部分に蹴りやつねり・・
そして傷跡が残らないように、また目立たないように・・・ この目立たぬ様な母親と兄の暴力は痛みよりもそのやり方に悲しさを僅か4、5歳の頃には感じ それはいまだ忘れられず記憶しております。・・

水の入った桶に顔を押しこまれる・・  そんな光景を笑っている5歳年上の兄・・
お気に入りの玩具を隠す兄・・ 泣く姿を見下し笑う兄・・
膝まつかせ「3回まわって ワン ッて言えっ」
自己愛が強かったの母、欲しいものは何でも欲しがる兄・・
その場を嘘や感情で固める
金銭に貪欲でかつ、強者の前では・・・・そんな母と兄との時間。
身体的虐待よりも心理的なことが私はかなしかったです・・・

そんな日常生活 今振り返ると人を信ずる事が不得意になっていたかもしれません、
更に人の心の裏を読む、常に他の機嫌を伺う習慣など子供らしくない考え(精神状況)、心から信じ安心を持つ事なく追い込まれていました・・


○身体的虐待≦心理的虐待○

幼稚園時期
日常的な家庭生活環境
母「あんたは、なんでそんなアホやねん」
兄「ほんまアホや? おまえなんやね?ん」
母「アンタがウチの子なんて ほんま恥ずかしいわ?」
兄「ほんま かっこわるいわ?」
母「あ ほんまはうちの子とちゃうやし 頼まれてあずかってるやで」
私「(泣く)」
兄「知らんかったんかー オマエ橋の下で捨てられとったんやで? 知らんかったんやー おまえやっぱしアホやー」
私「(泣く)」
母「嘘ちゃいますっ 育ててもらってる事に感謝してもらわな」
兄「おまえ だれやっ 出て行ってくれ?」

母「あんまり言うたら パパに言うからやめといた方がええな」
兄「わかってるやろなー」

母親と兄にゴミ箱に入れられ 外から聞こえる兄の笑い声
「産まれてこうへんかった方がよかったのに はずかしいわ」
「服だけは着させとき ほんまに死んでもうたら かなんから」

こんな会話は日常的な事ではありましたが、記憶する幼稚園児からこういった「生き場のない」心理を突くものは
身体への虐待の痛みよりも言葉ではとても表現出来ない苦しいものでした。
ただ・・ 私(子)にとっては血の繋がった母親はこの世にひとりであり、どんな目に遭っても愛されたい・・気持ちはありました。
だからこそ、物心がつき記憶する幼稚園の頃には常に母親の機嫌顔色を伺い、今甘えていいかな? だいじょうぶかな?・・と
大半の予想は外れ、甘えようものなら「何甘えてんのっ 離れてんかっ」と怪我のない程度に突き飛ばされておりました。
しかし、どんなにされても母はこの世でひとりであり、普段父が居ないだけに愛されたい気持ちでいっぱいだったかもしれません。

小学1年だったか・・、駅の改札を潜り抜け電車に乗って家出。ひと駅目で乗り帰る時に見事に駅員さんに捕まる。黙秘権を通したが、数時間後背後から恐怖の声・・・、家に連れ戻されました。何故母親が迎えに来たのかは家に帰り母に言われた自分の胸元にぶら下がった物を見てはじめて知る。
家出先目標は、祖母の家(父親も平日は実家から会社通い)。本人(幼き私)はいたって真剣かつ死ぬ気での家出計画でした。

小学生の時、吐き気嘔吐数が増えふらつきがある事に自分でも気がつく。小児科にて「自律神経失調症」と診断される。
これに関し母親は、「この子変わってるから、それにアホやし・・(笑う母)」

週末に帰ってくる大好きな父に甘えたくても身体のどこかで壁があり、心の中で 「たすけて・・」 と 父とふたりだけの時間であってもそれが精いっぱい・・。
思いや感情を表に出すことは許されない時間が過ぎる日々でした。
大好で尊敬する祖母の家に泊まりに行っても、たとえ 私ひとりでの宿泊であっても普段の虐待からの不安や恐怖を伝える事が出来ない・・。


大人になり父から聞かされた話では、私は全くと言っていいほど言葉を喋らない時期が小学生の低学年まで続いていたとかで、真剣に病院連れて行こうかとなやんでいたらしい・・
私自身その事に記憶はない。 たしかに家庭内で感情や言葉の発言を抑えられていた事に繋がるかもしれない・・
私の記憶では父親と一緒にいた時間はそれこそ思いっきり甘えわがままを言っていた記憶があるのですが、いつしか私自身も気がつかぬうちに喋ることすら出来なくなっていたのでしょう。
父親の姿が見えない(居ない)時間はまずは笑って自分自身、そして迎える恐怖と不安の時間を息を殺して過ぎるのを待つ・・。
そしてまた父との安心安らぎの時が来る・・の繰り返しで自分自身を守るしかなかったと・・・。

〜後 〜

変わらず続く母と兄の下で生きる幼少期から少年時期・・
中学に上がりまもなくとーたんは新聞配達をしだしました・・ いえ、けして貧乏だったわけではありません。
母と兄への訴えとしてのひとつの手段でした。己は何もせずして認められぬ事は人を責め、責任転換し世間(社会)に出れず、己の居場所を維持するのは家だけとなった母と兄へすこしは解って欲しい・・
救い・祈りにも似た願いでバイトをしだしました。
結果、これも逆効果となってしまいましたが・・・。

この事は『片親引き離し』という児童虐待の一種である家庭環境であったことはこれらの事で判断されて頂きたい。


○怒る事 叱る事 しつけ 虐待の違いとは○

父の留守中での母と兄の父への人間的否定発言の日々。
父の留守の時は隠れて弱者を脅かしたり「暴」と「力」を振い支配しようとする『洗脳虐待』家庭環境下にいた私にはまだ心の安らぎである存在がいました。
常に自分に対しても厳しく生活し家庭家族を守り築き導こうとしていた祖母の存在はおおきく 大好きで 憧れでもありました・・ 。
そして、もうひとりこころの中に大切に残っている人は私がまだ幼い時に他界した母方の祖父でした。それはもう 典型的なお爺ちゃん、孫が可愛くってなんでも許せちゃう人でした。

父と母が喧嘩でもしたのでしょう(家では言葉数が少ない父、滅多に怒ることはありません)。母が泣き嫌がる私を母の実家へ連れて帰った事がありました。
泣きやまぬ幼き私に母は更に「あんたは人質やあんたはパパに可愛がられてるから」 
日中空いた電車の中で隣り合わせで座りながら人に見つからぬよう太ももを深く抓る母がいました。
私はただ泣き祖父に訴えました。
私の想いを言葉にする事は許さない母の存在。泣いて・・ 必死に泣いて、祖父に救いを求めた事を今でもはっきりと憶えています。
お爺ちゃんは、一生懸命に笑顔で私をあやそうと・・ 「(私に・・) どないしたんや〜」「かなしいんか〜」「おうちかえりたいんやな〜」「わるいな〜 ごめんな〜」
泣きやまぬ私を悲しそうに見つめ 謝る事など必要のないお爺ちゃんが必死でとーたんの心の中に入ろう・・ しろう・・と そんな思いをさせてしまった事・・。
(いまでも・・ いまでも・・・ あの時を謝る事なく祖父は他界してしまいました・・・)
部屋を一時出た後、部屋からは幼いとーたんでさえ解る父の批判、自己中心のみの母のヒステリック声、合間に言葉を入れようとする祖父の言葉を遮り終わりのない自分の非に触れぬ言動・・・・
しばらくして、あの優しい祖父の怒る声(叱る)。「子どもをなんだとおもってる!」「家族は”子ども”は母の物やない!」「身勝手な事をしたいんやったら独りで勝手に生なはれっ!」

部屋の中から聞こえたお爺ちゃん言葉・・ はじめて聞く怒ったお爺ちゃんの声、幼き私にはそれはとってもあったかい言葉でした・・・。
・・だからこそ、子を持つ母にはある意味厳しい面(想い・願い)もあったのを私が幼い頃に他界したにもかかわらず、はっきりと憶えています。

私に対する虐待で一番の辛かった事・・ それは身体的虐待=外部の痛みよりも・・

その背景 言動 心が一番の苦しみであり 痛みでした・・・

先にも記しましたが、私は父親と祖母が大好きでした。
そして父には幼き頃に祖父と死別し、後は祖母と祖母姉妹である女三姉妹に育てられ、ある意味期待されたいせつに育てられた一人っ子であった環境下、大切な存在がいました。
私自身もいまだはっきりと記憶している祖母姉妹(私がほんと幼い時に亡くなりました)の存在もあります。
祖母姉妹の長女である「おっきいお婆ちゃん(本当におっきかったデス)」は、言葉は少なくてもほんわかと優しく、二女の「ちっちゃいお婆ちゃん」はシャキシャキとした言葉きつめでちょっと怖目のお婆ちゃんでしたが、いつも私のも目を掛けてくれました。
そして三女で父の母である私にとっての祖母「おばあちゃん(そのまんま)」※私が社会人になってからも健在でした。
祖母は家に男がいない(私の父は子として)こともあったのか、しつけには厳しい人でしたが、何時も筋が通っており私自身幼い頃から尊敬が先にくる大好きな存在でした。
祖母は、「”あなたの為に”」「”あなたが心配だから”」・・などといった言葉は一切口にしません。あくまでも厳しい大人となり演じ怒って(叱り・育児して)くれました。
どんなに怖くたって 厳しくても、先(本当)に相手を想う気持ちがあればどんなに幼くても伝わり安心を感じます。

私は現在、加齢臭イッパイのお年頃ですが・・
いまだ、幼少時期の母親と兄からの体験がトラウマとなり今日、日常生活でも症状として出てきます。お恥ずかしい限りです・・・。

〜 心理・精神的虐待から・・ 〜

母親と兄の前ではいつも出来る限り必死で笑顔を見せるよう努力し 心の想いを悟られないようにていました
何も知らぬ大好きだった父の前では いつも必死で笑顔を見せて わがままを言い甘えてきましたました (後、父いわく わがままは全くなかったと言っておりましたが・・)
何も知らぬ尊敬の祖母の前では わざと だらしない(わがまま)な行動をし 怒られ(叱られ)本当の愛を感じ そして家族のきずき(築き)を教わりました。
そして・・
少年期になった頃には すでに私の心の中では、理想の家庭、家族像が大きく膨れ、家族を築き・絆、そして親が子を守る事・・
これを第一に先とた家庭像を夢見るようになっていました。



●片親引き離し症候群/片親疎外症候群からの克服(治療)●

これは現医学では治療は無理と考えられます。心理・精神的な事であり、その日々の生活での不安感や恐怖感を和らげる処方はありますが、
根本的な部分は育ってきた環境に全てがあり、過去は変わる事ではなく心の底についた傷は消えるものではありません。
「これから」 しかないと・・。
その為には、周囲からの思いやり 愛からの安心感しかないと思われます。
これはあくまでも私の場合ですが、祖母の後押しから「師」「尊」「敬」「学び」「礼」 
この学び(修行)ではじまり終わりのない学びの社会に入ったことが救いとなりました。
この仕事(社会)は一見乱暴にも受け取られる世界でしたが「信じる」「受ける」気持ちがなくてはならない事でした。
自我を押し通し利益を得る事は全く通用しないし・・「不器用」な人たちの集まりでした。
個性豊かな人たちの集まりでもあり表面は口が悪く、いや・・口よりも手や足が先に出るといった・・
しかし常に相手を「尊重」し「認め」更に「理解」する努力を惜しまない仕事種でした。
それはどれだけ私にとって『救い』となったことか言葉ではとても表現できません。

虐待に遭った多くの経験者は他からの『愛している』の言葉や行動に敏感です。
なぜならば愛する想いは強くても 安心という愛され方を知らないから・・。
他に尽くすことは経験しても 愛され尽くされる(安心)経験はないからです。
緊張を解くという安心・・ 他にはないと思われます。



●「心理的(片親引き離し)虐待」の現状●

言葉に出来ぬ子供への虐待、更に外傷がない心理精神的虐待だけに第三者が理解・発見することは困難
また現在これを規制する法的手段がなく、これを悪用するものが増加しています。
日本を除く先進諸外国では、「離婚」をした元夫婦であっても「子ども」にとっては「父」と「母」であり、
親が離婚後も「子ども」は「父」と「母」にいつでも会える権利を保証、また「父」「母」は子どもの育児に関わらなくてはいけない義務があり そしてこれを阻害・反する者は罰せられます。

そんな世界の子どもの成長保護を先にする中(ハーグ条約)、日本では子どもより親(大人)の都合を先にする考えから昨今海外から見たの日本の子どもに関する視観は・・

「”拉致(誘拐)大国 ニッポン”」
”子どもを自分のアクセサリー(玩具)にしたければ、日本に連れ出せばよい”



●児童虐待無法国 『誘拐大国”日本”』● 注:これは先に子どもを連れ去った親に監護(親権)を認めるもので、連れ戻す行為は例え保護であっても「誘拐」とされます。
また 行政に属す保護と称した児童保護(児童相談所)施設は昨今、覆いかぶされていた親子を引き裂き児童を隔離し児童虐待を重ねる施設が内部告発されはじめておりますが、まだまだ施設内での本質は追及されない現状です。

現在、各方面専門研究者、大学臨床心理研究者、大学法律部研究者、ハーグ条約加盟国など 児童片親引き離し(疎外)は虐待であり誘拐にあたり、傷害・暴行罪に匹敵する犯罪であり、監護者による児童虐待に対する実質放置(無法)国”日本”に児童虐待犯罪を阻止すべく、離婚・別居後の共同育児(子育て)への新法(律)に向かって国(政府)に働きをかけるが、現段階では少子化対策・男女平等・男女共同参画と名を変え謳っている政府の一部となった本質『女尊男卑・家庭(家族)破壊党』とも呼ばれる女性党派フェミニストによって阻止さているのが現状です。

本来 生きもの(人間)として、法で定め強制させる以前なのですが・・
裁判所も例外ではなく、この「親子(片親)引き裂き」が法律で禁止する項目が出来ぬ限り、本来あるべき『子どもの福祉(無事成長)』を監護親に置き換え実質子どもの人権である自然の無事成長をを無視(排除)した判断をし続けていくでしょう。
子どもを人質とし、離婚や金銭の取引材料にされ更にそれに従っても人質にされた子どもは返されない事はおろか、実質立場の強い監護側の気分で会う事さえもも許されない現状。
これを法的に強制出来ない事で裁判所も黙認、結果的に監護親の虐待を援助しているのも現実であります。
疎外された片親が我が子を守りたくても守れない中、これを悪用する者とそれに苦しむ子どもたちが増加現象にあります・・
今 日本国内で「生き別れ」、「引き裂かれ」が増え続けています。
これは、あの北朝鮮拉致問題と何ら変わらぬ事と先進国(主にカナダ、アメリカ、フランス)各政府から指摘される今でも、今現在も日本国内では日常的にあり 今更に生き別れになる親子が増え続けているのが現状です。



●今の私 〜私にとっての子どもと奥さん(家族)〜●
結婚生活

仕事しか知らなかった私にとって家庭を持て さらに子を授かった事は夢のような感動で一杯でした。 
自分のすべてを家族に捧げよう こころからそう誓った私がそこに居ました。

しかし、元奥さんの理想の夫には程遠く、私の力不足から元奥さんはある日突然娘を連れ家を後にしました。
お互いが持つ家族の理想像は違ったのでしょう・・
元奥さんは、離婚したてで小学5年生の男の子と私の元へ来たのですが、当初私の中では自分と元奥さんの間には子はつくるべきではないと思っていました。
多感期である子にとって両親の離婚に傷つき、親の勝手に振り回され そして全く違う家庭環境でいかなければならない・・
一緒の暮らす前息子の話を聞きました。話は傷ついた子の想いからの訴えでした・・ 誰にも話せず、気がつけば目に大好きなパパがいなくなっている・・
息子は私が一緒ならママと暮らしてもいいと・・ それ以上の内容はこの場では差し控えさせていただきます。
※あえてこの場で記さなくとも何らかの流れで広いネット界からこ1ページに辿り着かれた方は常に時の刻み以上に子(他)を先に想われる日々、
自責を問い苦しまれておられるとお察ししますので記するまではないと・・・。

家族となりまもなく、元奥さんからの意外な言葉・・ 「子どもがほしい」 と。
悩みました・・ 私自身に問い投げかけ・・ まずは長男の事・・ どんなに頑張っても実の父親にはなれない私の存在は長男にとってプラスになるのか・・
いや それ以前にとーたん自身が長男の父親として 血の繋がる子と繋がってない子をどう接して子育て出来るか不安でした。
血の繋がらない長男に不安な気持ちにさせないように 今まで以上に長男に愛を持って接していけるのだろうかと・・

”家族愛” ”絆” ”築き” 私にとっての理想の家族像・・
後に触れることにもなりますが、私自身幼少時からの願い求めてきた、夢見ていた家族の姿・・
子どもにだけは両親に守られている安心、家族を築く為には必要不可欠な信頼を感じて欲しい・・
私と同じ思いだけはさせたくない・・ 敏感になっていました・・・。

辛い時 苦しい時 悦び 幸せの瞬間をいつも家族で分け合いたい・・と


ーー後、追記−−−−−−−−−−










◆ いのり ◆

−子どもは決して親に虐待をされたとは発せません−

なぜならば


親に愛されたいから

信じたいから

親に守られ

安心できること

そして それは

親を愛し 人(生きもの)を愛せ

尊するこころ 愛おしいこころ 守る想い

自身の存在理解

自身も愛せる よろこびであります



虐待に遭っている おおくの子どもたちは

笑顔で虐待生活を日々おくっています



−願いと希望−

生き物として生物学上 性別という区別はあっても 差別からは何の利益も生れない・・

日本で暮らす家族である限り無理なのでしょうか

人類の希望と未来である子どもたち

それは親の物ではない

「こころ」がある

子の存在は 父がいて 母がいる

そこに「愛」と「絆」があると・・

死別されたご家族のこころの悲しみの支えには「永遠の愛」「永遠の絆」があるように・・・

片親を否定することは 子という命・誕生をも否定することになるかと・・

地球上生物で人類だけではないでしょうか・・

戦争を起こし、人類のみならず他の生きもの、自然を破壊していく・・

人それぞれ価値観が違うようにそれは各特性として受け入れ合える事、 理論や理屈ではなく、押し付けるものではなく受ける「こころ」

差別からはマイナスだけが生れる・・・



子どもたちは何の罪もありません

大人たちに振り回され、傷つき・・・

親や大人という我が先ではなく、子の”こころ”を先に・・


子どもはこの世に誕生した時すでに学んでいます

「”父”と”母”の存在によってこの世に誕生してきたこと」を

「他を否定する事は 自も否定すること」だと


大人は今 自然の導きを思いださなければいけない・・かと

「子どもの存在が大人をつくる」

「子がいてくれるから親(大人)でいられる」


自然って こんなことではないでしょうか


児童虐待 争い・・

人類社会のみだと 私は思います





◇ フランスの医師であり権威ある研究者でもある小児科・医学博士 Drアルド・ナウリ の医学的根拠の上での哲学言語 ◇


子にとって

「母は自然(地球)・・ 父は文化(社会)・・」






◇ マザー・テレサからのメッセージ ◇


「私は、なぜ男性と女性が全く同じであると考え、男女の間の素晴らしい違いを否定する人たちがいるのか理解できません。」 (第4回国連世界女性会議へ宛てたメッセージ )

「女性特有の愛の力は、母親になったときに最も顕著に現れ、神様が女性に与えた最高の贈り物―それが母性なのです。」

「子ども達が愛することと、祈ることを学ぶのに最もふさわしい場が家庭であり、家庭で父母の姿から学ぶのです。家庭が崩壊したり、不和になったりすれば、多くの子は愛と祈りを知らずに育ちます。家庭崩壊が進んだ国は、やがて多くの困難な問題を抱えることになるでしょう。」 
(第5回北京世界女性会議 へ宛てたメッセージ)

「愛の反対は憎しみではなく、無関心。」

「この世で最大の不幸は戦争や貧困などではない。寧ろそれによって見放され、“自分は誰からも必要とされていない”と感じる事。」

「銃や砲弾が世界を支配してはならない。大切なのは愛である。」

「愛は、それぞれの季節が実らせる果実といえます。」

「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります(初来日の際)。」

「私は受賞に値するような人間ではないけれど、世界の最も貧しい人々に代わってこの賞を受けます」
(ノーベル平和賞授賞式でのスピーチ)。

「帰って家族を大切にしてあげて下さい」
(ノーベル平和賞受賞の際、インタビューで「世界平和のために私達はどんな事をしたらいいですか」と問われて)





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